大峰山と風刺画と

以前、大峰山への入山運動について触れたことがある。その中で僕は、信仰や伝統は不変のものではなく、常に捉え直されるべき対象なのであり、それ自体においてただちに首肯されるべきものではない、といった主旨の内容を述べた*1。ところで、この大峰山の問題と、僕も最近取り上げていたムハンマドの風刺画問題*2について、id:nucさんが次のようなエントリを書いている。

この二つは、宗教上の禁忌が、多文化共存する現在の法で許された事項に触れたところが共通なのだろう。風刺画の揶揄していたムハンマド田中眞紀子の長女のようなプライバシーの保護すべき相手ではなく、言論統制をもっともかけてはいけない相手だ。


しかし、「俺の場所だからこっちへ来るな」という不当な要求をされたことはあっても、「これは俺の絵(キャラクター)だから描くな」というようなことを言われたことがない。メディアが国家権力への砦であるというのは頭では分かっていても日本は平和だ。それがゆえにあまり欧米の新聞社側が感じるであろう不当さに共感できない。騒ぎ立てるマスコミは嫌い。しかも風刺画の中身が、ムハンマドをテロリストとするもので到底納得できない。


それで僕は今回は暴動には賛同できないものの派手にムスリム寄りの見解をとりたいと思ったが、そのあとでよく考えると丁度大峰山で逆の立場に立っていたなと読み替えてみると、大峰山は日本国の法で判断すべきものであり、風刺画は国をまたいでいる、という点は違うものの後はだいたい同じ議論が成立しそうに見える。


ムハンマドの風刺画と大峰山 - 白のカピバラの逆極限 S.144-3


この視点は重要だと思う。僕もまた、このふたつの問題に対する自身の主張の中に矛盾にも似たものを見出していて、そのことについて考える必要性を感じていたのだった。そして僕は、このふたつの問題を対置させて考えるとき、少なくとも次のふたつの視点が必要になるのではないか、と思いはじめるようになった。そのふたつの視点とは、まず、これらの問題を「宗教や伝統、または社会的な通念の捉え直し」の過程と見なし、その捉え直しを、捉え直しの当事者に寄り添う形で考えるべきなのではないか、という視点。そして、これらの問題を「状況への異議申し立て」として捉え、そのような状況を維持している多数の側の通念(もちろんこれは、多数といっても数の大小の問題ではない)とは何であるのかを問うべきなのではないか、という視点。このような視座に立ったとき、僕は、全てのものごとは一義的ではなく、多様な側面を -- それどころか反転さえする側面を -- 持っている、全てのものごとは固定的ではなく、常に流動的である、という当り前の事実に直面していることに気が付いた。


もちろんこうは言っても、僕は別に、くだらない相対主義を主張したい、というわけではない。


ムハンマドの風刺画問題では、イスラムの立場にある人々の、中でも、特に「イスラム原理主義者」と呼ばれる人々が、あのような激しい抗議をおこなった主体である、とされている。ところで僕たちは、このようにして「イスラム原理主義者」といった表現を安易に使用しているわけだけれど、果してそれは、そのように呼ばれている人々の内実を理解し、何を志向しているのかを知ったうえで、そのような呼称と、それにまつわるイメージとを措定しているのだろうか。僕たちが「イスラム原理主義」と呼ぶその概念について、イスラム研究家の中田考氏は、その著作である「ビンラディンの論理 (小学館文庫)*3の中で、そのような主張が勃興してきた要因を、次のように述べている。

イスラーム主義の興隆の真の原因は、イスラーム政治学の成熟とその成果の市民社会への普及にあるのである。つまり、新しい学としてのイスラーム政治学が、西欧政治思想の皮相的な把握を越えて、その諸概念の歴史・文化的背景を射程に収めたうえで、古典イスラーム学の中のそれらの相同概念との厳密な対照を行いうる段階に達し、その成果の大衆的普及の結果が、現在のイスラーム復興運動として現象しているのである。
 そしてイスラーム復興運動のヴァリエーションの一つである武闘派の闘争も、現代イスラーム学の一つの学説の表現型であり、その伸長の原因は何よりも学問の進歩、「イスラーム的政治」の理念と現実との乖離にこそ求められるべきである。(P165)


僕たちの多くが、古くさい宗教心や因習に基づいて活動していると見做しているものが、その実、むしろ比較的新しい存在であり、また、学問的探求により常に発展を続けているという事実が、ここに述べられている。ここで中田氏は「理念と現実との乖離」としているが、では、その「現実」とはいったいどのようなものであるのか。

 ロイターは次のように伝えている。
「(一九九二年)十二月に、武闘派との容疑をかけられた約七○○名が逮捕された大規模な治安捜査の舞台となったインバーバ地区のあるモスクは外の埃っぽい通りには数十人の軽装の治安警察が徘徊していた。イスラーム集団の宗徒たちは、治安警察軍の面前で怒りを顕にするにはあまりにも深く傷付いていた。敢えて言葉少なに囁こうとする者も、治安警察の『全ては正常だ』との声によって遮られてしまう。しかしインバーバ地区の厳重に監視されたモスクの近くで、一人のベールを被った女性が怒りの声をあげた。
『我々が被っている抑圧と弾圧について書き留めてください!』
ザイナブ・ムハンマド・イスマーイールと名乗るこの女性は訴えた。
『彼らは誰を探しているというのでしょう。イスラーム主義者は皆、拘置所に連れていかれてしまっているというのに』
彼女は自分の兄弟も逮捕された一人だと言った。
『説教者も、神を崇める者も、何一つ話すことはできません。この警官たちが彼らに襲いかかるからです。もし政府か為政者に反対することを一言でも言おうものなら、警官は彼らに発砲するでしょう。占領地でイスラエルパレスチナ人に対して行っているのと同じようなことが、ここでも起こっているのです』」
 以上の簡単なスケッチからも、ムバーラク政権の反イスラーム主義政策が「民主主義」とは逆のベクトルを有していることが分かる。ムバーラク政権がイスラーム主義者の挑戦から守ろうとしているのは「民主主義」ではなく、政権の支持基盤である軍の「既得の経済的権益と制度的特権」であり、エジプトへの資本投下と西欧からの援助なのである。(P173-P174)


このような現実に対して中田氏は、イスラム主義の『権力者による恣意的な「人の支配」を否定する「法の支配」の原則』に戻すための運動、という側面を対置する。また同時に、このような現実を維持する存在としての「西欧世界」を浮上させる。

イスラーム主義の主張を詳細に検討するなら、その本質が「イスラーム法の主権」、即ち権力者による恣意的な「人の支配」を否定する「法の支配」の原則にあり、その目指すところのイスラーム的統治の理念が「協議」「正義」「平等」であることが明らかになる。イスラーム法に基づくイスラーム的統治の理念は、確かに自然法形而上学と天賦人権の神話に立脚する西欧型の民主主義とは異なる。両者が予定調和的に共存しうるはずであると言うことはできないが、同時に絶対的に不可能であると言うこともできない。あらゆる国民国家間の関係について当てはまる、この当然の事実をここで忘れてはならないのである。
 イスラーム法は一四○○年の歴史を有する学問体系であり、文献学的解釈作業により「客観的」に意味を確定することができ、従って「非合理的」なロマン主義的「民族主義」とも、「信仰心」や「宗教感情」に基礎をおく主観的な「宗教的熱狂主義」とも全く異質である。その意味でイスラーム主義は、他者にも理解可能なメッセージと言うことができる。
 西欧世界は、中東世界で初めての無血大衆革命であった一九七七年のイラン・イスラーム共和国革命を正しく評価せず、イランを国際的孤立に追い込み、イスラーム主義に敵対するというだけの理由から、イラクサッダーム・フセイン独裁政権に軍事支援を与え続けたが、その結果は二五万人もの犠牲者を出したイラン・イラク戦争(一九八○〜八八年)であり、さらに一九九○年のイラクによるクウェート侵攻と翌九一年の湾岸戦争の勃発を招いた。
 我々は同じ過ちを繰り返さないためにも、一方的な反イスラーム主義政策を改め、中東諸国の軍事政権の情報統制に注意を払い、政治・社会・文化についての「正しい」認識を積み重ね、イスラーム世界との共存の道を模索する必要があった。
 しかし欧米社会は、イスラーム主義者の主張に耳を傾けず、人権と民主主義を踏みにじるアラブの独裁政権への援助を続けてきた。その結果が、イスラーム主義武装闘争派をより深く地下に潜行させると同時に、彼らの攻撃の矛先を、自国の政府から、その背後にあるアメリカへと向けさせることになったのである。(P180-182)


イスラム原理主義」と呼ばれるその事象には、自分達の背景からよりよい社会をつくり出していこうとする、社会革新としての側面がある。そして、風刺画に対する彼らの怒りの声の背景に、その希求されている社会への道を閉ざそうとする圧力を、西欧世界が(そして広い意味では僕たちの暮らすこの社会も)発している、という事実もまた、同時に存在するのだ。


さて、これらのことから、僕たちの多くが古くさい抑圧的な宗教に基づくものだと見做していた主張の背景に、より正当な社会を求めたいという希求があり、そのような意味において、肯定すべき点も多々あるのだということ、そして何より、常に発展し、変化する余地があるのだということを感じることができるだろう。大峰山との対置において考えるならば、「伝統と現代的な視座の対立」という側面だけではなく、「社会の捉え直しの過程にある当事者」「現況に対して異議申し立てをおこなっている当事者」としての側面も見るならば、「伝統と現代的な視座の対立」と見做していた時の布置が、まったく反転するだろう。僕たちが固定的な観点で断を下すとき、ものごとが含むこのような多義を、そして発展の可能性を摘んでしまう。もちろん僕たちは、主張をする時に何かの観点に依ることを避けることができない。特に、異議申し立ての主張に対して「一方の視点に立ちすぎる」などといった批判をすることは、許すべからざるものだろう。そうであるならば、要請される姿勢はやはり、対話の道を閉ざさないということであり、批判されるべきは、その対話の道を閉ざすという行為だろう。そして、異議申し立てに対して誠実に応答せずに、結果として対話の道が閉ざされるのであれば、その姿勢を支える通念を、やはり問題として指摘しなければならない。


やや素朴ではあるけれど、僕はそのように考えた。