「最悪の事態」

正直に言えば、最近良く耳にする「固有の領土」という言葉を、その概念を、僕は理解することができない。
ここで言う「固有」とは何だろう。
そしてその「固有」という言葉がどのようにして「領土」という言葉と結びつくのだろう。
そしてなぜ、この言葉はまるで疑問の余地が無いかのように、自明性を伴って語られるのだろうか。
僕には、まったく理解することができない。


尖閣諸島を巡る状況が現在のような事態になったことで、多くの人が「最悪の事態だけは避けなければ」と言う。
でも、「最悪の事態」って何だろう。
何が「最悪の事態」なのだろう。


僕は「固有の領土」という言葉は理解できなかったけれど、でも、この「最悪の事態」という言葉、それだけは理解することができる。


それは、石原慎太郎があのようなアクションを起こした時に、誰も声をあげなかったことだ。
石原に肯定的な人は言わずもがな、批判的な人たちであっても「石原がまたバカを言っている」程度に状況を軽く見た、
その弛緩が「最悪の事態」だったのではないか。
石原が「三国人」「犯罪者予備軍の支那朝鮮人」と言い放った時、僕たちの社会はそれを許してしまった。
そして彼とその追随者を増長させ、その言葉に力を与えてしまった。
そのような弛緩の連続の先に今の状況があるとするならば、「最悪の事態」は、すでに僕たちの目の前にあったのだ。


だから、「最悪の事態」を回避するために僕たちがやるべきことは自明だ。
それは、レイシストに社会的地位や影響力を与えることをやめることだ。
彼らから、社会的地位や影響力を奪うことだ。


「こんな状況で何を悠長なことを言っているんだ」と思う人もいるだろう。
でも、これ以外にいったい何があると言うのだろう。
遠回りに見えたとしても、そしてこれからどのような情勢になろうとも、これ以外に「最悪の事態」の回避なんて、本当の意味では存在し得ない。