危機的状況

われわれが日常的に触れる報道などにおいて「テロ」と呼称した場合、それはもっぱらイラクパレスチナにおける、アメリカやイスラエルへの暴力的行為を指し示している。そしてその場合、そのような暴力を行使する人々は「テロリスト」と呼ばれる。たとえばそれは、次のような報道からも伺える。

外相は、日本がハマス内閣にイスラエル生存権承認やテロ放棄を求めていることを「評価する」と述べた。


http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20060711i213.htm?from=main2

復興支援のためサマワに派遣された陸自の車両や資材は、クウェート市郊外の倉庫で管理される。その作業に携わる現地業者は、日本の報道陣が取材に訪れると、顔を隠すように大きなマスクをつけた。陸自も業者名が特定されない報道を要請。業者側が「自衛隊に協力しているのを知られたら、テロの標的になるかもしれない」と懸念しているという。車両の国旗もスプレーなどで塗りつぶされている。


http://www.asahi.com/international/update/0715/011.html


ところで、先般の北朝鮮によるミサイル発射を受けて、この日本において「われわれは危機的状況にあるのではないか」とする懸念が高まっている。そして、「危機に対処するには相手に対して制裁を課すべきだ」という意識すらも高まっているということが、次のような世論調査からも伺える。

北朝鮮のミサイル発射を受け、共同通信社が7、8両日に実施した全国緊急電話世論調査によると、送金停止や輸出入規制など北朝鮮に対する経済制裁強化の是非に関し「経済制裁を強めるべきだ」とした人が80・7%に達した。「強めるべきではない」とした人は12・6%だった。政府が「当面の対応」として北朝鮮の貨客船「万景峰92」の入港禁止などの経済制裁を発動したことについても「評価する」が82・6%、「評価しない」が12・9%。世論がミサイル発射を深刻に受け止め、北朝鮮に対し厳しい姿勢で臨むよう政府に求めていることが浮き彫りになった形だ。


北朝鮮のミサイル発射に対し「大いに不安を感じる」が45・2%、「ある程度不安を感じる」が41・8%で、合わせて87・0%が不安を感じていると回答。「あまり不安は感じない」は9・9%、「全く不安は感じない」2・8%だった。


http://www.nikkansports.com/general/f-gn-tp0-20060709-57850.html


そして、数年ないし十年ほど前であれば、問題とされ内閣が倒れかねない状況となったであろう次のような発言も、少なくとも日本国内に限ってみれば、それほど問題とならずに許容される情勢となっている。

防衛庁額賀福志郎長官は九日、記者団に「国民を守るために必要ならば、独立国家として、一定の枠組みの中で最低限のものを持つという考え方は当然だ」と指摘。その上で、「自民党、与党内での合意が必要だ」と述べた。


麻生太郎外相も同日のNHK番組で、「核兵器がくっついたミサイルが日本に向けられているのであれば、被害を受けるまで何もしないわけにいかない」と述べた。


『基地攻撃能力保有を』 政府内で意見浮上:東京新聞


これらのことから多くの人々が、「理不尽な(と見做す)攻撃に対して怒りを抱くことは当然であるし、そのような行為には相応の罰を与えるべきだ」という認識を(意識的にせよ無意識的にせよ)抱いている、ということを見出すことができる。


われわれの多くはこのように、北朝鮮によるミサイル発射を一方的で理不尽な攻撃であると見做し、それに対して憤っている。しかし冷静に考えるならば、未だ対話への回路が全て切断されたわけではない。今までの北朝鮮の在り方を見るならば、むしろあのミサイルの発射さえも「恫喝」という、対話の一手段であっただろうと言うことができる。そしてそれは、彼らがそれだけ追い詰められているということの証でもある。


しかし今、われわれを突き動かしているものは処断の感情である。つまり、相手の側の攻撃は一方的で理不尽だと見做し、それに対して処断がくだされるべきだ、とする感情である。それは、強者の論理だと言える。つまり、一方では過剰なまでに彼らへの恐怖は膨らんでいるが、また同時に、処断することのできる力はわれわれの方こそが持っている、ということを冷静なまでに自覚しているのだ。


さて、冒頭で指摘したように、われわれの多くはアメリカやイスラエルに対する暴力的行為を「テロ」と呼んでいるし、そのような暴力を行使する人々を「テロリスト」と呼んでいる。そして日本という国家は、そのような「テロとの戦い」に参画し、支援すら行っている。だから、日本に対してもそのような攻撃があり得ると考えているし、実際、冒頭で引用した記事のように「テロの標的になるかもしれない」といった言い方もなされる。


しかしこの、日本も参画する「テロとの戦い」においても、先にあげた強者の論理が剥き出しとなっている。次のような状況下におかれた人々が、その圧倒的な暴力に対して抵抗することが、なぜ、「テロ」と呼ばれなければならないのか。しかし実際には、暴力をふるう正統性はわれわれの側だけが持つ、と見做されているのだ。

私は自分自身をコントロールできず、彼女のために涙があふれてきたが、しかし、すぐに彼女の頭と胸で燃えている火を消した。胸と頭髪、そして顔の肉が焼けていた。服で彼女をおおってやった。そのとき私は、話したり脅したりしたら、アメリカ兵が私を連行するだろうと気づき、そこでこの悲劇的な話の目撃者となれるように、自制して静かに家から出ることに決めた。


http://www.geocities.jp/uruknewsjapan2006/0607_testimony_about_US_rape.html

「僕と友だちは週末を過ごすためにちょうど海に着いたところだったんだ。強烈な爆発の音を聞いて、何が起きたのかを確かめに行った。それは信じられない、悲惨なものだった」とガービンは言う。
「フーダは砂丘の間をまるで何かを探すように走っていた。彼女は家族の遺体や体のパーツの間でよろめいていた。驚き、恐れおののいて、泣いていたんだ」
(……)
現場では、黄色いとうもろこしが赤い土にまみれ、血が浸みたマットレスの近くに散らばるいろろなおもちゃの間にピンクとオレンジの子どもの靴が落ちていた。
白い砂は赤い土になってしまった。少女の髪の房や肉片は凧で覆われている。


Tiffany Replica

パレスチナでは6日〜12日までの1週間で79人が殺されている。すでに パレスチナ情報センターでも伝えている が、12日にはサッカーをして遊んでいた少年らにミサイルが撃ち込まれ、5人が殺され、7人が負傷した。
(……)
停電しているガザで、子どもたちはサッカーに楽しみを見いだしていた。そこを襲った突然のミサイル(これに関してイスラエル軍が何と言っているのか、見あたらない)。5人の殺された子どもたちの遺体は損傷が激しく、識別ができない状態にあるという。
(……)
被害者の数がどんどん増えていくのが恐ろしいだけでなく、5人の子どもがサッカーをしていて殺されたことも話題にならならい状況が恐ろしい。


http://0000000000.net/p-navi/info/news/200607140322.htm

ベイルート市内は日中も断続的にイスラエル軍機の爆撃音が響く。
 「戦闘機だ!」
 仲間2人が叫んだ瞬間、シリア人の出稼ぎ労働者アブドラさん(26)は衝撃で意識が消えた。近くの深夜レストランで仕事を終えた午前3時半、朝の祈りのためモスクに向かっていた。両足に破片を浴び、気づいたら病院にいた。高架橋の下で寝ていたシリア人の仲間2人は死亡した。


http://www.asahi.com/international/update/0715/004.html


このような暴力が吹き荒れる中で、われわれ日本の宰相が彼の地を訪れている。彼の立ち居ふるまいは、われわれの自画像としてふさわしいものだ、とすら言える。

中東訪問中の小泉首相、「最後の御奉公」でなんとか世界の耳目を集めたかったようだが、現地ではまるで相手にされず、観光旅行に毛が生えた程度のものとなった。


お邪魔虫の小泉さん - 浅井久仁臣 『今日の中東』

親日家で知られる国王の異例のサービスに対し、首相はホテル到着後、「国王が送ってくれた」と周囲に英語で語り、喜んでいた。


http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20060714ia01.htm

ヨルダンを訪問した小泉首相は14日午後、同国南部の世界遺産に登録されているペトラ遺跡を視察した。巨大な岩盤をくりぬいて作られた遺跡内ではラクダに乗るなどおおはしゃぎ。


http://www.asahi.com/politics/update/0715/004.html

日本では問題にされていないようだが、イスラエル訪問中の小泉首相がキッパというユダヤ教徒の帽子を被り、ホロコースト博物館を訪問している写真がアラブ人、イスラム教徒の激憤を買っている。


小泉、シオニストへの忠誠を誓う/アラビア・ニュース - 薔薇、または陽だまりの猫


なるほど、たしかにわれわれは危機的状況下にあるのかもしれない。しかしそれは、われわれの「道義」が危機にさらされている、という意味において危機的だ、ということだ。なんて、バカげたことだろう。


もちろんこのように偉そうに語る僕にしても、このような状況の中で、淡々と日常を送っている。そしてそのことによって、知らず知らずのうちに罪責感が、澱のように沈積していくのを感じる。どうか、許してほしい。いつか必ず、仇はとるから。