河合隼雄の「靖国参拝」に関する発言について

先日のエントリで触れた河合隼雄の発言について、id:t-hirosakaさんが該当箇所を抜き出してくださいました。(ありがとうございます!)


http://d.hatena.ne.jp/t-hirosaka/20051026#1130302509
http://d.hatena.ne.jp/t-hirosaka/20051026#1130314478


客観的に考えるならば、編集側の意図によって恣意的に編集されている可能性も高い雑誌記事中の発言に対して、批判的な反応を示すのは過剰とも言えるかもしれない。また、こんな雑誌記事中の発言などよりも、世界には、本当に怒るべき対象・事柄がもっとあるだろう、とも思う。しかし河合隼雄は、小渕政権下での「21世紀日本の構想」懇談会の座長を皮切りに、常に体制の中に身を置き、その体制の中において政治(特に教育)に強い影響力を持っている人物である。そして、その権威付けに、彼のユング派分析家としての「魂の医師」というペルソナが寄与しているのであれば、ユングを私淑している一個人として、彼の発言を看過するわけにはいかない、と感じる。


id:t-hirosakaさんの引用からの孫引きとなるが)この雑誌記事中で、河合隼雄は「みんなが、一つの問題を『〜すべきだ』とか『善悪の観点』で話しすぎ。過剰に反応しすぎて、問題を混乱させている。靖国問題はその一例だろう」と発言している。ただ単に一読しただけでは、この発言には何も問題がないように感じてしまうかもしれない。事実、社会全体において、わかりやすい二項対立を求める傾向が強まっていると、先の総選挙を通じて感じた人も多いだろうから。(しかし河合隼雄は、その勧善懲悪劇を演じた小泉純一郎を、同じように批判しようとはしない。不思議な事だな、と思う。)


でも。
河合隼雄の発言中の「みんな」とは、一体何なんだろうか、と僕は思う。彼が「みんな」という表現によって一括りで語ることで、取りこぼしてしまっているものは一体何なんだろうか ---


その「みんな」という表現が表すものは、被抑圧側への決定的な鈍感さ、なのではないだろうか(その鈍感さは僕自身も、自身の抱える問題として感じていることではあるけれど)。例えば、アメリカ大統領が「原爆投下は全面的に正しい」と発言したとして、それに対して、日本の被曝者たちが抗議の声をあげたとしたら。彼は同じように「みんなが、一つの問題を『〜すべきだ』とか『善悪の観点』で話しすぎ。過剰に反応しすぎて、問題を混乱させている」と発言するのだろうか。「みんな」と一括りにする表現には、社会に存在する葛藤を、まるでオブラートで包むかのように覆い隠してしまう無自覚さと、暴力とを感じる。そしてそれは、彼の語る「あいまい力」というものにも、通じているように僕には思える。


彼は「あいまい力」というものに対して、この様に発言している(またもid:t-hirosakaさんの引用からの孫引き)。「このままではギスギスした世の中になる。あいまいさを楽しむ。我慢する。時には結論を急がず、立ち止まる余裕が必要だ。あいまい力こそ21世紀を生きるためのキーワードですよ」 --- この発言に対して、僕はユングの発言を引用して示そうと思う。

民主主義国家は、敵は外部にあるのであって内面の平和こそ好ましいという、誤った信条に誘い込む、戦争というものに関わらないでいるかぎり、まだしも見込みがあるのです。西欧の民主主義国に見られる内部紛争への著しい傾向こそ、より一層希望に満ちた道へと導くものにほかなりません。ただ私はこの希望が、いまだにこれとは反対の道、すなわち個人の撲滅と、われわれが国家と呼んでいる虚構の増大とを信じる勢力によって、実現を遅らされることを恐れるのです。


現在と未来―ユングの文明論 (平凡社ライブラリー), P128


ユングは語っている、社会集団内部での闘争の許容こそ、真の民主主義なのだ、と。(「ユングはナチズムに加担した」という馬鹿げたレッテル貼りが頻繁におこなわれるけれど、実際には、ユングは徹頭徹尾、民主主義の信奉者だった。)


社会に存在する葛藤を許容し、その葛藤と向き合う --- そのようなユングの姿勢と、河合隼雄が称揚するような鵺的なあいまいさとの間には、越えることのできない、大きな隔たりがあると感じる。彼の語る「あいまい力」が、その鈍感さによって集団としての暴力に容易に転嫁し得るということ、そして、社会において、現実にそういった鈍感さによって抑圧されている人々がいるであろうということを、ユング派分析家としての彼は、一体どのように思っているのだろうか。

2005年10月27日 追記

仕事で疲労してボケボケした状態で深夜に書き上げたため、表現が若干おかしくなっていた部分を修正した。また、エントリのタイトルが「河合隼雄の「靖国参拝」に関する発言について」となっているが、結局、「靖国参拝」自体はあまり焦点としていない内容となってしまった。あえてタイトルの訂正はおこなわないけれど、実際には「AERA誌上での河合隼雄の発言について」とでもしておいた方が、正確だったように思う。