心からの感謝

研幾堂の日記の山下さんが、再び、僕の稚拙な文章にコメントをしてくださいました。

私の言わんとするのは、自己の精神が、その能力をして捉えたものを、その能力に於いて、観念なり概念なり、あるいは認識として、自らの中で形成していくという体験が、(倫理的な事柄に関するものも含めて、)決して他人に説明出来ないものとして生じるものではなく、また、ものごとの判断の成立の仕方として、異常なものであるとか、正当なものではないとか、そんなことなど全然ないものである、という事実を、自信を持って体得するような営みを為されるように、というところにあります。


http://d.hatena.ne.jp/t_kei/20051030/p1#c1130700604


僕はこの言葉に触れることができて、本当にうれしかったのです。
今まで、「自分のうちにある不合理な感覚」などと言っていたものは、自分自身にとっても、他者にとっても、決して説明不可能なものではない、それには必ず、世界へと向かう道筋が存在するのだと、ここにまさしく示されたのだから。そして僕は、僕がみじめに思ったり、情けなく思っていたその原因が、自分自身の誤魔化しにあったのだと、気が付くことが出来たのだから。


山下さん、僕は、僕の問題点を端的に示していただき、さらに、僕にとって必要な方向を示唆していただけたことに、本当に感謝しています。山下さんにとっては至極当然であったかもしれないそれらの事柄も、僕にとっては大きな驚きでした。本当に、ありがとうございました。