罪責感

http://d.hatena.ne.jp/kenkido/20051029」を読んだ後の、僕の稚拙な感情の吐露に対して、研幾堂の日記をお書きになっている山下さんから、僕には過分としか言いようがないほど真摯なコメントをいただいた。


これから僕が書き記す内容は、あまりにも主観的で、感傷的で、おそらく、人によっては不愉快に感じるだろうし、場合によっては、憤りすら感じるだろうと思う。そして当然、僕のこのような感覚は、その不合理さによって批判の対象とさえなり得るだろう。でも僕は、僕が抱えているこの不合理な感覚について、告白をしておかなければならない、と感じている。


今から10年前、オウム真理教による、あの一連の事象が発生した。
当時僕はまだ10代のガキであったのだけれど、ガキはガキなりにあの事件に衝撃を受けて、連日のように垂れ流される報道を、貪るように摂取していた。


そんな中で、(確か朝日新聞だったと思うが)ある記事の内容が、僕の心を深く捉えた。その記事はもはや手元にはなく、また、詳細をはっきりと思い出すことも出来ない。そのため細部は異なると思うけれど、記事は概ね以下のような内容だったように思う。

松本智津夫は、幼いときに家庭の経済的事情から、親元を離され、全寮制の盲学校へと入学させられた。
ある日、盲学校の小学部で悪さばかりを繰り返す松本智津夫少年を、教師が叱責した。
それに対して、松本智津夫少年は泣きながらこう答えたのだった。
「大人になれば、誰だって立派になれるんだよ、大人になれば、僕だって立派になれるんだよ・・・」


それを読んだ時、僕は思ったのだ。「あぁ、人間じゃないか、まさしく、人間じゃないか、僕と同じ、人間じゃないか」、と。そして、このような思いが僕の中で浮かびあがってきたのだった。


誰かが道端に落ちていた石ころで躓いてしまった。
その誰かが躓いたことによって、道に落ちている石ころの存在を、僕達は知ることが出来た。
しかしそれが無ければ、躓いていたのは僕であったのかもしれない。
そうではないと、なぜ、言えるのだろうか ---


また、同じ時期に、このような夢を見た。

地雷が大量に埋設されている紛争地帯。
地雷で手足を失い、傷ついている子どもたちが収容されている診療所に、僕はいた。
その診療所では、マザーテレサにそっくりな年老いた修道女が、子どもたちの治療をおこなっていた。
傷ついている子どもたちを前にして呆然としている僕に対して、その修道女は言った。


「世界には、自ら進んで地雷源へと向かう人々がいます。そのことによって彼は傷つき、そして、そこに地雷があることを、世界に対して示すのです。」


夢から醒めた後、僕はこの夢の内容に衝撃を受けて、そして、このように思ったのだった。
罪を犯した人間とは、ただ単に、僕達の社会を代表してその罪を示しているだけなのではないだろうか、また、人は罪を犯したその時点で、「罪を犯す」というその行為自体によって、すでに自らを裁いているのではないだろうか、と。


それ以来、僕は罪というものに触れる度、その罪の責から自分自身も逃れることが出来ない、と感じるようになった。もちろん、合理的な立場から見れば、その罪を帰するべき対象は、法律であったり、社会的な通念に依って決められるべきもので、その罪責を広く一般へと拡大することは、避けなければならないことだろう。また、社会で解決すべき問題を、個々人の責任へと還元するような誤謬は、当然、批判されなければならない。しかし、にも関わらず、僕はそれらの罪というものを、社会であったり、特定の個人であったりに投げかけることで、僕自身が抱える潜在的な罪というものから無関係になれるとは、到底思えないでいる。自分の中に沸き上がる、彼が犯した罪は、他ならぬ僕自身の罪なのではないか、という観念を、僕は無視することが出来ない。


これらの観念は、社会の問題を捉えるにはあまりにも狭く、あまりにも不合理だ。しかし、罪は全て社会に --- つまり、外部に --- のみ遍在し、自らの内には無いのだとするのであれば、社会的な共感とは一体何なんだろう、と僕は思う。この罪悪感というものを経ること無しに、果たして社会的な共感とは存在し得るものなのだろうか、という思いが、僕の中で浮かんでは消えるという明滅を繰り返している。


山下さん、僕があのような稚拙な感想を書いた事の責任は、山下さんの文章には全く無いのです。僕は、このようなグロテスクな想いに取り憑かれていて、そのために、あのような感想を書くにいたったのです。