色褪せるという感覚

仕事が忙しいせいで、すっかり更新が滞ってしまった(最近、こんなことばっか書いてるなぁ)。


さて。
これは僕の悪い癖だけれど、また例によって、自分の感覚のみに依拠したことを書いてみようと思う(あぁ、まったく、「愚者は体験に学ぶ」)。


僕には時々、「全てのものが色褪せて感じる」という感覚が訪れる時がある。
色褪せた、と言っても、それは別に否定的であったり、悲観的であったりするような感覚では無い。たとえてみるなら、それは、黄昏どきにたたずんで、静かに沈んでいく太陽を眺めているような、そんな感覚だ。そのような感覚は以前からしばしば訪れてくるものだったけれど、最近になって、その回数が増えてきているように思える。そしてそのような時には、自分にとって重要であると思っていた事柄や、自分の基盤であるように思っていたような事すらも、全て色褪せ、遠くへと過ぎ去っていったかのように感じるのだ。


そのような時、僕は以前に見た夢を思い出す(これもいつものパターンだけれど)。
この夢は4年前、アフガンでマスードが爆死した、という新聞記事を読んだ後に見たものだ。

死んだマスードの魂が、アフガンの空から大地を眺めている。
彼は語った。


「私はこの大地を愛し、それを護るために命をかけて戦い続けてきた。しかし今、それらは全て過ぎ去った。私がこだわってきたもの、私が護ろうとしてきたもの、それらを全てここに置き、私は去らねばならない。」


この感覚は、虚無感とは何かが違っている。何が違うのか、について、僕は語ることができない。でもこの感覚の先に、何か大事なものがあるのだ、と感じている。僕はこの感覚の中において、世界が受容されているのを感じるのだ。


最近、こういった自分の中からたち現れる感覚が、以前よりも、より重要なものであるように感じるようになってきている。そして、それらを捉え、その中から実りある言葉を紡いでいくための力量が、僕には決定的に不足している、とも強く感じる。これらの事柄を、社会的に同意が可能な言葉へと再構築することも、可能なのだと信じたい。