最終解決

物騒なタイトルをつけてしまったけれど、その背景にある構図を突き詰めるなら、そういうことなんだろう、と思う。*1

靱公園のすべてのテント(約20軒)、大阪城公園の一部テント(約5軒)に住む人々が、大阪市によって強制排除の危機にさらされています。失業によって野宿を余儀なくされたかれらは、生きんがために公園や路上にテントを建て、アルミ缶や雑誌・廃品回収などの仕事で生計を立てながら、隣近所で助け合いつつ自分たちの力で生き抜いてきました。そのかれらに対し大阪市は支援の手を差し伸べるどころか、「不法占有」の名のもとに、その生活の場であるテントすらも奪い、この寒空のもと路上へと叩き出そうとしているのです。大阪市では例年、すくなくとも200人以上の野宿者が路上死を余儀なくされています。これらの死者は、野宿者排除政策=殺人行政によって生み出された犠牲者なのです。大阪市の非道な人権侵害行為を止めるため、私たちはいま、多くの方々の協力を必要としています。


取材要請+経緯説明: 釜パト活動日誌


10年近く前、僕は新宿の西口でアルバイトをしていた。
当時の西口には、色とりどりの絵で装飾された段ボールハウスが林立する、街があった。
色々な人が住んでいた。


そのなかには、足の不自由なお婆さんもいた。*2
ある日、そのお婆さんが難儀をしているところを目撃した僕は、お婆さんに声をかけた。
僕がお婆さんの車椅子を押して彼女の家へと向かい始めると、京王線の職員が数人、血相を変えて駆けつけてきた。
彼らは、僕がトラブルに巻き込まれたと勘違いしたのだった。
普通にしている僕の顔をみて、その職員たちは、怪訝そうな表情を浮かべていた。


そこには、色々な人が住んでいた。
でも、みんないなくなってしまった。


98年、街は炎につつまれた。4人の方が亡くなった。*3
その後は、まるで嵐に襲われたかのように、全てが取り払われていった。


僕は、その状況を傍観してしまったことを、心の底から後悔している。
ほんとうに、僕は、僕に対して、くそったれだ、と思う。


僕はいまだに、このようにネットの片隅でつぶやくようなことしかできていない。そんな自分に、僕は強く失望する。しかし、彼らの存在を「無かった」ことにして解決しようとする意図に、それを許容する精神に、そして、それによって産み出されていく構図に対して、僕は、最低限、抗議の声はあげておきたい。「本当に、それでいいのかよ」、と。


(1月25日午前、若干の追記をおこないました。)

*1:このタイトルの意味がわからない方は、"最終解決"もしくは"ユダヤ人問題の最終解決"でネットを検索してください。

*2:他にも、明らかに障害を抱えている方や高齢の方が少なからずいた。

*3:出火の原因については様々な噂が流れたが、結局、不明とされた。