現代の神話

古来より人間は、天空に見出される事象と、地上における様々な出来事との間に、結び付きがあると考えてきた。いや、より積極的に表現するならば、天空の事象と地上における様々な営為との間に、照応を見出してきたのだった。特に天空に見出される様々な異変は、災厄の前兆、もしくはその訪れを告げるものとして扱われていた。

南アメリカでは日食や月食は疫病の兆候と考えられた。太陽が欠けるのは天然痘が流行するしるしだと言う。1918年にスペイン風邪で多数の南アメリカ先住民が死亡したとき、それは日食のためだとされた。日食の「よだれ」が地上に広がって死をもたらした、とささやかれた。


天文不思議集 (「知の再発見」双書) (P78-79)

 世界中いたるところで彗星は不幸をもたらすという信仰がある。インカ皇帝アタワルパが征服者ピサロに牢獄に入れられたときにも彗星は現れた。黒く緑がかって、太さは人間の胴体ほどもあり、槍の長さより長いその彗星は、かれの父が死ぬ直前に現れたものとそっくりだった。これを聞いてアタワルパは絶望の淵におちいった。ほどなくその怖れは現実となった。アタワルパは1533年8月9日に絞首刑に処せられた。
 同じように、圧政で有名なローマ皇帝ネロ(37-68)の即位のときにも彗星が出現した。この不吉な前兆が正しかったことは、彼の惨澹たる15年の治世が証明している。


天文不思議集 (「知の再発見」双書) (P80-81)

BC394年、クニドス(小アジアドーリアの植民地)では、空に大きな輝く梁のようなものが現れた。それはスパルタが海戦に負けて、ギリシアを失った、ちょうどその時のことであった。空がぱっくりと裂けたので、人々は巨大な火が地上に流れ出してくるのではないかと怖れた。BC349年にマケドニア王フィリッポスがギリシアを打ち負かしたときにも同じことが起こった。


天文不思議集 (「知の再発見」双書) (P97)

カルタゴ戦争のとき、ローマにとって最大の敵、カルタゴハンニバル将軍が冬営を離れて戦争を再開しようとしていたおりもおり、ローマは政治的危機にみまわれ、人々は不安の極にあった。「各地から到来する奇跡の報せがローマ人の恐怖を一層かきたてた。シチリアでは自分の槍が燃え上がるのを何人もの兵士が見た。(略)ところによっては太陽が小さくなった。プラエネステでは熱い燃えさかる石が空から降ってきた。アルピでは武器が空中にぶら下がっているのが見え、太陽と月が闘っているのが見えた。カペーネでは真っ昼間に月が2つも地上線上に昇った。カエレ川には血が流れ、ヘラクレスの泉でさえも血で染まった。(略)カプエでは空が燃え上がり、月が雨といっしょに落ちてくるのが見えた。これほど華々しくはないが、奇跡は他にも報告されている。山羊の毛が羊の毛になり、雌鳥が雄鶏に、雄鶏が雌鳥に変わった……」。


天文不思議集 (「知の再発見」双書) (P100)

珪酸、アルミナ、酸化鉄あるいは紅藻や昆虫の血などで赤く染まった雨は、インド、ギリシア、ローマ、ゲルマン諸族の間で、中世に至るまで、神の怒りを現わす災厄の前兆とされた。『プルターク英雄伝』ロームルス篇に実例が見られ、ドイツでは六四○年に最古の記録があり、リスボンでも一五五一年に降ったとされる。また『元史』順帝の巻には、一三三四年正月一日、血の雨が着衣を染めたとあり、この年各地で水害、旱魃、蝗禍による飢饉、疫病が多発している。


空飛ぶ円盤 (ちくま学芸文庫) (P220, 訳注より)

十字軍遠征の始まる前から、剣のような尾を曳いた彗星や、東西から湧き起こって中央で合体する血の色の雲が見られ、さらには十字架を掲げて戦う戦士の軍団が現れて、干戈の音まで聞こえたという。また双頭の仔羊や、手足が四本ずつある幼児の誕生なども伝えられている。


空飛ぶ円盤 (ちくま学芸文庫) (P220-221, 訳注より)


これらの話題から、神話というものがいかにして誕生するのか、という一端を垣間見ることができる。それは時代精神の逼迫と前後して現れ、人々はその表象に、まるで憑かれたかのように圧倒される。神話とはまさしく集団表象であり、そして何よりも、その非個人性によって個人を圧倒する。


そのような心象は、現代に生きるわれわれにおいても姿を変えて立ち現れている。古代において空に見出されたものは、様々な怪異であった。現代において空に現れるもの、それは、戦争の表象である。

AP通信によると、ジョージアアラバマ両州など米南部一帯を含む米国各地で5日夜、オーロラが観測された。(……)
夜空に鮮やかに浮かぶ青、赤、緑の3色の光の帯を見て、「テロ攻撃のようだ」「空爆を受けているかもしれない」など、驚いた市民からの問い合わせが警察などに殺到したという。


テロ攻撃と勘違い? 米各地でオーロラ騒ぎ

 北朝鮮がミサイルを発射した5日、新潟県佐渡島では早朝、「空が赤く染まった」などとする目撃が相次いだ。佐渡市河原田本町の無職女性(74)は「朝4時ごろ外に出たら、空が今まで見たことのない色になっていた。あんな朝焼けは見たことがない」と驚いていた。佐渡島の西方上空が五分ほど赤く染まっていたという。

 佐渡市千種のパート女性(47)は「いつか来るとは思っていたが…」とミサイル発射にショックを隠しきれない様子。「太陽とは違う感じで、西の空が妙に明るく、オレンジになっていた」と不安そうに話した。


http://www.sponichi.co.jp/society/flash/KFullFlash20060705020.html

本日早朝北朝鮮のミサイルが発射されたらしい。
今日はたまたまいろいろと忙しくて、後輩と共に朝方まで学校にいました。
で、朝方窓から見える海がオレンジ色でした。
「朝日が出てきたー」
なんて、後輩と言っていたわけですが・・・んなわけないですよね、窓から見えるのは日本海ですもの。
すでに思考能力が鈍っていたらしくそのときは何とも思わなかったけど、今思うと恐ろしい・・・


ミサイル発射 - 考えたこと等3


ヨハネの黙示録に天空上の壮大な象徴表現が頻繁に描かれているように、このような天空と地上との照応という潜在的な観念は、その本質において予言という表象と結び付く。それは、数十年前の次のような事象にも見出すことができる。

 事件の発端は、ヨーロッパの西、ポルトガルの真ん中にある小さな村ファティマ。主役は羊飼いの家の末娘で、10歳になった女の子。名をルシアという。脇役はルシアのいとこにあたる9歳のフランシスコとヤシンタ。とりたてて特徴のある子たちではない。
 事件は1917年5月13日、快晴の昼日中に起こった。ルシアたち3人は羊を連れて、村から2キロ先のコバ・ダ・イリアという窪地にやって来た。正午を過ぎたころ、突如、空中に強烈な閃光がきらめいた。少女たちは輝く光にとらえられ、目がくらみそうになった。
 光の中心に、小さな美しい貴婦人が出現した。彼女は子供たちに、毎月13日のこの時刻に、6回続けてこの場所に来るように告げられた。
(……)
 第二の予言は、1938年1月26日の夜9〜11時にかけ、西ヨーロッパ全域において異常なオーロラに似た色光が輝いた。これは説明つかない現象として、当時のヨーロッパ諸国の新聞にも大きく報じられた。
 この不気味な光に呼応するかのように、ドイツではヒトラーが台頭し、まもなく第二次世界大戦の火ぶたが切られた。


http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/phatima.html *1


先にあげた佐渡島の怪現象においても、予言者よろしく絶叫する人々が現れた。ただし現代に生きる啓蒙されたわれわれは、そのような事象を外からきたもの、外在的なものとして見出すのであるが。

★★★これが核爆発だったら、戦争になる★★★
(……)
この東京新聞の記事を読んでいただきたい。核爆発以外で、このように空が赤く染まったりするだろうか。


http://d.hatena.ne.jp/suuuuhi/20060706


われわれは、今、危機が外から降りかかろうとしているのだと見做している。もちろん、対岸においても火は燃え上がりつつあるのだろう。しかし同時に、われわれの足下においても火は燻りつづけ、またもわれわれを圧倒しようとしている。そのような時代精神の逼迫は、次にあげるいくつかのエントリの、コメント欄などにも見出すことができる。


生野区で朝鮮学校の子どもが - Arisanのノート
http://d.hatena.ne.jp/kmizusawa/20060715/p1#c


ジョン・W・ダワーの「容赦なき戦争 (平凡社ライブラリー)」では、先の大戦に至る過程で、日本人がいかに、自身を純粋で清浄な存在であると見做していったのか、同時に、それ以外の「人種」を不浄で劣った存在であると見做していったのかが描かれている*2。そのようなイメージは、最終的には、自分たちは「光輝アル歴史」を持つ指導民族であり、敵は人間ではない鬼 --- つまり鬼畜米英 --- である、そして日本による戦争行為は世界を浄化する戦争である、というところにまで行き着いた。


ナチスによるユダヤ人排斥を持ち出すまでもない。それと類似の心象を、先にあげたコメント欄からも抽出することができる。匿名的な一群となったそれらの人々の、その非個人性は憑依と呼ぶにふさわしい。だからこそ、論理的な反駁にも微動だにしない。それもまた、現代の神話だと言える。

*1:このリンク先、凄い内容です。。なんだかなー。

*2:ただしダワーは、アメリカ人による日本人蔑視について、それ以上の紙数を割いている