不公正な世界
パキスタン地震。
現段階で、死者は4万人を超えるという報道も出ている。しかし、その被害の規模と比較して、日本での報道量は、あまりにも少ないように僕には感じられる。これは僕の主観に過ぎないから、ただの勘違いかもしれない。けれども、はてなでの言及数等からも、例えばカトリーナによってもたらされたアメリカの被害に対しての関心と比べて、日本での関心はかなり低いと感じさせられる。
また、今日、テレビ朝日系列で奇跡の生還者たちという番組が放映されていた。
ベスランの学校占拠事件についての再現ドキュメントと称するこの番組は、しかし、当事者の一方の視点でしか描かれていない。チェチェンにおいて何が行われてきたのか、何が起きているのか、そして、この番組内で極悪非道なテロリストとして描かれていた人々が、なぜそこまで先鋭化してしまったのか。この事件には、どのような背景があるのか。この番組では、そういった視点はことごとく欠落していた。*1
これらの光景は、以前にも見た記憶がある。
911の直後。
あの衝撃的な映像が流れた後、世界中からアメリカへ、連帯と支援の言葉が物心両面に渡って寄せられた。しかしそれは、そこに至るまでの経過において、アメリカと、その支援国がおこなってきた行為に、果たして釣り合うものであったのだろうか。また、それらの同情の声は、このいびつな世界において日々困難に直面している、いわゆる第三世界の人々に寄せられていた声と、果たして釣り合うものであったのだろうか。そして、その後、アメリカとその支援国がおこなった行為は、その直接のきっかけとなった出来事に、果たして釣り合うものであったのだろうか。*2
僕達の世界は、あまりに不公正で、いびつな形をしている。しかし、それは自然に、そのようなものとして形成されてきた訳では無い。僕達の意識が、僕達の認識が、世界を、そのようなものとして描き出している。