「流れから水を得んとするものは、少しは身をかがめねばならない。」 補遺

相変わらず僕の文章は拙くて、昨日書いた内容を今自分で読み返してみても、自分が何を言いたかったのかが良くわからない。そこで、それを糊塗する、というわけではないけれど、自分自身の理解向上のためにも若干の追記をしておこうと思う。


ユングは個性化について、このようにも語っている。

エゴイストのことを「利己的」ということがあるが、これは私がここで使っているような「本来的自己」*1の概念とは、むろん何の関係もない。(中略)個人主義とは、集合的な配慮や義務遂行とは反対に、ひとりよがりの独自性を意図的に際立たせ、強調することである。ところが個性化のほうは、まさしく人間の持つ集合的な諸規定をよりよく、より完全に実現することを意味している。


自我と無意識の関係 , P86


これは一見すると、いかにもバックラッシュ的な心性を持つ人々が好みそうな表現だ。個性化の結果は、利己的な振る舞いの強化へはつながらず、それとは反対に集合的な諸規定に沿うものとなる、と述べているのだ。しかし、この後にはこのような表現が続く。

したがって個性化というものが意味する心理的発展過程とは、次のような過程でしかありえない。つまり、所与の個性的な諸規定を実現する発展過程である。


自我と無意識の関係 , P86


ここでユングは、個々人が「所与」のものとして、集合的諸規定に沿うものとなる発展の可能性を内在している、と述べている。そうであれば、その集合的諸規定に沿うものとなる個人の発展とはいかなるものであるのか、が問題となる。

 ここで、こういう質問が投げかけられるかもしれない。人間が個人となるのが、いったいなぜ望ましいことなのかと。個人化は望ましいだけではなく、不可欠なことである。他者との混合によって、個人の置かれる状態、個人のおこなう行動はすべて自分自身と一致しなくなる。つまり、無意識的な混合や未分離状態からは、本来の自分自身とはちがった自分であれという強制、そのようにふるまえという強制が生まれてくる。だからそのようなものと一致することもできなければ、それに対して責任を引き受けることもできない。自分の置かれた状態が、品位のない、不自由な、不道徳な状態だと感じられる。自分自身との不一致は、まさしく神経症的な堪えられない状態に他ならない。誰でもその状態から逃れ出たいと思う。このような状態からの脱出が可能となるのは、あるがままの自分だと感じられるように自分があることができ、ふるまうことができるようになった場合に限られる。そのような感じを人々は抱くのである。最初は多分漠然たるもので不確かである。しかし一歩一歩と進展するにしたがってだんだん強く、だんだん明確になってゆく。自分の状態について、自分の行動について、「それが私です、そのように私はふるまうのです」と言うことができたら、たといそれが困難に感じられようとも、その人はそれと一致しながら歩を進めてゆくことができるのである。たといそれに抗いつつも、それに対し責任を負うことができるのである。自分自身に堪えるほどむずかしいことはない、ということはむろん認められなければならない(「お前はいちばん重い荷を探したのだ。お前はそこに自分自身を見出したのだ」 ニーチェ)。しかしこの最もむずかしい仕事さえ、無意識的内容と自分とを区別することができれば、可能となるのである。
(中略)
かかる理由から個性化というものは、ある種の人間にとっては不可欠である。たんに治療上の必要性としてのみならず、高い理想として、人のなしうる最善の理念として不可欠なのである。これはまた、「汝のなかの内面である」神の王国という原始キリスト教の理念でもある、ということを指摘しておかなくてはなるまい。この理念の基盤にある考えは、正しい志操から正しい行動が生じるという考え、個人自身に端を発することのないような救済も世界改良もないという考えである。


自我と無意識の関係 , P170-171


「それが私です、そのように私はふるまうのです」 --- ここにおいて、「例外的な少数者」などといった物言いは出て来ないし、出て来ようはずもない*2。個々人の自然な発展の結果として集合的な発展がある、その発展の可能性を人は内在している --- ユングはそのように述べているのだ*3ユングが「特殊なものは素質の中にすでにア・プリオリに根ざしているのである」と語るとき、それは人間の内在する可能性について語っているのであって、制限について語っているのではないのである。


率直に言いたい。
「例外的な少数者」などといった表現をなんの躊躇もなく使用できる人間は、人間存在について語る資格を自ら放棄してしまっているのだと僕は思う。そのような表現は、人間という存在への、信頼の欠如の表明に過ぎない。

*1:個性化の目標

*2:言うまでもなく「例外的な少数者」とは、林道義氏の表現である。http://www007.upp.so-net.ne.jp/rindou/femi36-1.html

*3:危うい表現を使うならば、世界と照応する小宇宙としての「神の王国」を、人は内在している。