「暴力」

昨日のエントリについて、id:t-hirosakaさんから言及いただいた。

現実問題としては、やむにやまれぬときは手段の是非を問うているヒマのない場合もある、とは思うのだが、非常事態にはなんでもあり、という判断停止状態におちいらないためにも、やむににやまれぬ場合に直面していないときにこそ、こうしたことを考えておくべきではないか。それこそが非常時に備える有効な道だと考える。備えあれば憂いなし。


恐妻家の献立表−葦の原に穴掘って - 「異義申し立ての「暴力」というものを、どのように捉えるのか」


まったくその通りです、と僕も思う。あらためて自分の書いたものを読み返してみると、「いささか安易かな」という印象が強い。ただ僕としては、社会の奥底に横たわる「暴力観」というものを、そして、人間心理の奥底にある「暴力」というものを、僕自身の内的要請によって、捉え直す必要性を感じている。(しかも、後者に関しては必ずしも否定的でないものとして。)しかし今は、誤解を招くことなく、そのようなことについてうまく言語化する力量を、残念ながら持ちあわせていない。


t-hirosakaさんのベンヤミンについてのエントリ、もう一度読み返してみようかな。。