普遍論争

いろいろ書きたいことがあるのに、言葉にまとめるだけの体力が無い。。
で、調べものをしていたらちょっと興味深い記述を見付けたので、とりあえずメモだけ。


中世ヨーロッパの普遍論争に関する、ユングの論考から。

 九世紀の聖餐論争はいっそう大きな論争の幕開けにすぎず、その大論争は幾世紀にもわたって人間の精神を分断し思いもよらぬ結果をもたらした。その大論争とは唯名論実念論の対立である。唯名論とは、いわゆる《普遍》すなわち類概念や普遍概念、たとえば美・善・動物・人間などを、名称ないし言葉にすぎない、皮肉な言い方をすれば「声〔を発すとき〕の息」にすぎないとする流派をいう。アナトール・フランスは「では思考とは何か。人はどのようにして考えるのか。われわれは言葉によって考える --- 考えてもみよ、形而上学者は世界の体系を構築するために、猿や犬の叫びを改良したものしかもっていないのである」と言っている。これは極端な唯名論である。ニーチェが理性を「言語形而上学」と解している場合も同じである。
 反対に、実念論は《個別に先立つ普遍》の存在を主張した。すなわち普遍概念はプラトンイデアと同じようにそれ自体で存在していると主張した。実念論が教会公認のものであるのに対して、唯名論は抽象的なものが独自に存在していることを否定しようとする懐疑的な潮流である。唯名論は、硬直しきった教義体系の内部における、ある種の学問的な懐疑論である。唯名論の実在概念は当然ながら物の感覚的な実在性と一致しており、実在しているのは抽象的理念ではなく個々の物である。これに対して厳密な実念論は、《個物に先立って》措定される抽象的なもの・イデア・普遍的なもの・の方に現実性があると考えている。


タイプ論, P33-34

 プラトンイデア論との関連が示しているように、この論争ははるか昔にさかのぼる争いと関わりをもっている。


タイプ論, P34

 この明白にして根本的な対立をゴンペルツは内属と述定の問題として明確にとらえた。たとえばわれわれが「温かい」「冷たい」と言う場合、われわれは「温かい」物や「冷たい」物について語っているのであって、「温かい」や「冷たい」は属性ないし述語としてこの物の一部をなしているのである。述語が関係しているのは知覚されるものや現実に存在しているもの、つまり温かかったり冷たかったりする物体である。そして数多くの似たような事例から「温かさ」とか「冷たさ」という概念が抽出され、その概念が直接物体的なものと結びつけられたり、混同されたりする。こうして抽象における知覚の残響の結果、「温かさ」や「冷たさ」が何らかの物性を持つようになる。抽象から物性を拭い去ることはわれわれにとってはむずかしい。というのは、いかなる抽象もその由来に応じて、当然のことながら物性につきまとわれているからである。この意味で述語の物性は本来ア・プリオリなものである。(中略)さらにより高度な類概念、たとえばエネルギーという概念にまでのぼってみると、たしかに物性は消失しているし、思い浮かべられるという性質もある程度失われている。まさにこのことによってまたエネルギーの「本性」をめぐる論争が、すなわちエネルギーは単なる思考上の抽出物なのか、それとも何か「実在するもの」なのか、という論争が始まる。たしかに教育を受けた現代の唯名論者はこの点について、「エネルギー」とは単なる名称であり、われわれの心の中での計算の「めやす」であると確信している。しかし彼らとて、日常的な言葉の使い方が「エネルギー」を何かまったく物的なもののように扱っており、つねにとてつもない認識論上の混乱を頭の中にひきおこしていることを防ぐことはできないのである。
 単なる思考の産物がもっている物性は、われわれの抽象過程に自然に忍び込んできて述語や抽象観念に「実在性」を持たせるが、これはけっして作り物でもなければ概念の恣意的な実体化でもなく、むしろそれなりの自然必然性をもっているのである。すなわち抽象的な思考内容とは恣意的に実体化されたり、人工的に産み出された彼岸に同じく恣意的に移されたものではなく、むしろ実際の歴史的過程は逆である。つまり未開人にあっては、イマーゴ、すなわち感性的感覚の心的反響はきわめて強くかつ明白に感性に彩られているので、反響が自発的な記憶像として再現される場合、それは時に幻覚の性質さえおびる。未開人が死んだ母親の記憶像をふと思い浮かべるとき、彼は母親の亡霊をいわば本当に見たり聞いたりしているのである。われわれは死者のことを「考える」だけであるが、未開人は死者の亡霊の姿を特別に感じることによって死者を知覚する。原始的な精霊信仰はこうして生じる。精霊とはわれわれがまったく単純に思考内容と呼ぶものである。未開人は「考える」ときそれなりの視覚像をもち、その実在性があまりにも強いため彼はつねに心的なものと実在的なものとを混同するのである。(中略)精霊信仰は、心的な実念論から見ると感性的感覚が独立しているのではなくてイメージが独立しているように見えるという、こうした根本的な事実から生まれるのであって、ヨーロッパ人が未開人になすりつけているような、説明をしたいという未開人の何らかの必要から生まれるのではない。思考内容は未開人にとって見えるもの、聞こえるものであるから、啓示としての性格も持っている。それゆえ魔術師つまり幻視者はつねに、精霊や神々の啓示を伝える、部族の哲人でもある。まさにこのことから思考内容の魔術的な作用も生まれるのである。というのは思考内容も実在的なものであるので、行為と同等のものだからである。同様に言葉も観念の外的な衣であるから行為と同等である。というのは言葉は「実在的」な記憶像を呼び出して「実在的な」作用をもたらすからである。われわれが未開人の迷信を不思議に思うのは、われわれの方こそ心的イメージが著しく脱感性化してしまったからである、すなわちわれわれが「抽象的」に考える --- もちろんそれによって前述の種々の制限を受けることになる --- ことを学んだからにすぎないのである。


タイプ論, P36-38

 述語の実在性はア・プリオリに与えられている。というのはそれは昔から人間の精神のうちに存在しているからである。後から批判によってのみ抽象〔概念〕から現実性がうばわれるのである。プラトンの時代においてもなお、言葉=概念の呪術的な実在性への信仰が大きかったからこそ、哲学者が罠にはめたり、ごまかしたりする論理を考え出すと皆がひっかかったのである。その場合哲学者は言葉が絶対的な意味をもっていることを利用して馬鹿げた答えをおしつけた。簡単な例はメガラ派のエウブリデスの《覆面をした人》という詭弁である。それは次のようなものである。「君は自分のお父さんを知ってるかい。知ってるよ。じゃあこの覆面をした人を知ってるかい。知らないよ。君は矛盾しているよ、だってこの覆面をした人は君のお父さんだから。つまり君は君のお父さんを知っているのに知らないんだ。」この詭弁は、「知っている」という言葉の妥当性が実際には一定の場合のみに限られているにもかかわらず、質問を受けた者が素朴にもその言葉はどんな場合にも同一の客観的事実を示していると前提しているときにだけ成り立つにすぎない。(中略)この方法によって、言葉が絶対的な意味をもつというのは幻想である、ということを納得させることができた。またこの方法によって、プラトンイデアの場合には形而上的存在や排他的妥当性すらもっていた類概念が、実在するかどうか吟味され始めたのである。ゴンペルツは次のように言っている。「言葉への不信があるからわれわれは活気を与えられ、また言葉の中には事実に対するあまり適当でない表現がしばしばあることを認識することができるのであるが、当時の人はまだそうした不信を持つに至ってなかった。むしろ概念範囲とそれに大まかに対応している言葉の使用範囲とは互いにそのつど一致しているにちがいないという素朴な信仰が支配していた。」言葉が呪術的な絶対的な意味をもつということは、言葉によって事柄の客観的なあり方が決められるということを前提としているが、それに対してはソフィストの批判は完全に当をえている。その批判は的確に言語の無力を証明した。ところでイデアが単なる名称である --- このこと自体証明されるべき仮説であるが --- かぎりでのみ、プラトンへのこの攻撃は正当である。しかし類概念が事物間の類似性や同質性を表している場合には、それは単なる名称ではなくなっている。その場合問題となるのはその同質性が客観的であるか否かということである。この同質性が存在していることは事実である。それゆえ類概念もある実在性に対応している。類概念は、物の正確な記述が含んでいるのと同様に、実在性を含んでいる。物の記述と類概念との違いは、物の記述か物の同質性の指摘かの違いにすぎない。したがって無力なのは概念やイデアではなく、それらの言葉による表現であって、言葉が物や物の同質性をけっして適切に再現していないのは当然のことである。それゆえイデア論に対する唯名論者の攻撃は原理的に的外れであって正当なものではない。それゆえプラトンが怒って反論したのはまったく正しかったのである。


タイプ論, P39-40

 アンティステネスの内属の原理とは、ひとつの主語について多くの述語を述べることができないばかりでなく、そもそも主語と異なるいかなる述語も述べることができない、というものである。アンティステネスは主語と同一の述語しか妥当なものとは認めなかった。そのような(「甘いものは甘い」といった)同語反復は一般的に何も言い表していない、だから無意味であるという事情は別としても、この内属の原理の弱点は、同語反復もまた物と関わっていないという点にある。たとえば「草」という言葉は「草」という物そのものには少しも関わっていない。この内属の原理も同様に、素朴にも言葉が事象とも一致すると前提する古代の言語物神崇拝に冒されているのである。それゆえ唯名論者が実念論者に向かって「何を夢みてるんだい。君は物と関わりあっているように思っているが、その実、言葉という幻獣と格闘しているにすぎないんだ!」と叫ぶなら、実念論者も唯名論者に同じことを言い返すことができるのである。というのは唯名論者も物そのものと関わっているのではなく、物の代わりにおかれている言葉と関わっているからである。たとえ彼が一つ一つの物すべてを特別な言葉で置き換えたとしても、それはどこまでも言葉にすぎず、物そのものではないのである。
 ところで「エネルギー」という観念はたしかに誰もが認めるように単なる言葉=概念ではあるが、しかしまた電力会社がそれを売って配当金を支払うほどにきわめて実在的なものである。取締役会はエネルギーが非実在的で形而上的であるとはけっして信じないであろう。「エネルギー」という言葉は種々の力の現象が結局は同じものであることを表しており、このことは否定すべくもない事実であって、誰の目にも明らかなことである。物が実在しており、言葉が物を習慣的に表示している以上、言葉も「実在的な意味」をもつ。しかもそれは個々の事象を表示する言葉がもつ実在的意味と正確に同じ実在的意味をもつのである。


タイプ論, P40-41

(前略)プラトンの思考は物の数多性を捨象し、総合的構成的に概念を作る。そしてこの概念は物の普遍的な同質性を真に存在するものとして特徴づけ表現するのである。そうした概念が不可視であり超人間的であるということは、思考の題材を一度かぎりのもの・個別的なもの・即物的なもの・に限ろうとする内属の原理の具象主義とは真向から対立する。しかしこの具象主義の企ては不可能であり、同じように、数多くの個物について言われたことをはかない世界のかなたに存在する永遠の実体へと高めようとする述定の原理のみを妥当なものとみなすことも不可能である。二つの判断のあり方はどちらも存在理由をもっており、もちろん誰の中にも存在しているものである。


タイプ論, P41-42

 われわれがこれほど詳しく内属と述定の問題に立ち入ったのは、この問題がスコラ哲学における唯名論実念論の形で再浮上したからというだけでなく、この問題が今もなお依然として決着がついていないし、これからもおそらくつくことがないであろうからでもある。というのはここに現れているのはまたしてもタイプ間の対立、すなわち思考過程そのものに決定的な価値を置く抽象の立場と、(意識的であれ無意識的であれ)感性的対象による方向づけに従う思考や感情の対立だからである。


タイプ論, P43

 二つの立場はいずれも極端で正しくないが、両者が示す対立の姿はこれ以上望めないほど明瞭であり、また誇張されているために特徴が鮮やかに浮かび出ている。この特徴は、たとえ個人的な感覚が前面に出ていない人柄の場合であっても、たしかにあまりはっきりとは現れないで、むしろ隠されているとはいえ、内向型や外向型の本質につきものの特徴なのである。というのは、たとえば精神的なものが主人になるか召使いになるかによって、本質が著しく相違してくるからである。主人は召使いとは違った考え方、感じ方をする。個人的なことをどこまでも捨象して普遍的な価値を選びとったとしても、個人的なものが混入するのを完全には除去できない。そしてこの混入物が存在するかぎり、思考や感情もまた、社会的に不利な条件に対する個人の自己主張から生まれる破壊的な傾向を含むのである。しかし個人的な傾向があるからといって、産み出された普遍的価値さえも個人的な底流に還元しようとするならば、重大な過ちを犯すことになろう。そんなものがあるとすればそれは似非心理学であろう。しかし実際にはそういうものが存在するのである。


タイプ論, P45


ちなみに、最後の似非心理学云々は何でも個人史の問題に還元してしまうフロイトへの当てこすりだったりする。
あーあ、メモのつもりが面白かったので、結局長々と引用してしまった。実はこの後のカントやアベラールについての議論も相当に面白くて、何十ページにも渡って長々と引用したい気分にかられてしまう。それはさておき、以前取り上げた(そして続きを書かずに放置してしまった、、)ピンカーの「人間の本性を考える」などでも扱われていた、科学的実在論と社会構築主義に代表されるポストモダンな潮流との対立の構図なども、相当に古くから微妙にその姿を変えながら人類の歴史上に繰り返し立ち現れていたのだということが良くわかる。(そしてユングは、その対立の根源を人間存在の本質に求めている。)


最後に蛇足を。
この引用した訳文、文末が「〜である」であることが多くてなかなかウザいのであるが、訳者は林道義大先生なのである。