私が私であるために

ここしばらく、忙しかったり体調を崩したりといったこともあって、ネットから遠ざかる形で日々を過ごしていた。淡々と日常の業務をこなし、その合間に周囲の人びとと、世間的なあれやこれやの話題に花を咲かせる、そんな毎日。

そのような日々の中で、僕は、世界と寸断されているような感覚をおぼえていた。その日常の中では、イラクパレスチナなどで繰り返される不条理も、いやそれどころか、この社会の政治状況さえも話題にのぼることは稀だった。それらのことは、どこか遠い世界、日常とは関係のない、まるでリアルさが消失した、おとぎ話の出来事のようにも感じさせられたし、そのような感覚は−−自覚的であるにしても、無自覚であるにしても−−多くの人びとに広く共有されているようにも思えた。しかしそのような対象の、リアルさの消失感とはいったい何だと言うのだろうか?どのような感覚を持って接していようと、それが現実であることには変わりがないはずなのに。

そのような生活について、たとえば、このように言うこともできるのかもしれない−−社会上の業務は細分化され、関心の領域も拡大をつづけている。多くの人びとがその中で完結した生活を営み、ある意味では充足している。その生活の中では、たとえば身近であるはずの首長選挙の話題すらも、自身の生活に関わりあるものとして考えることは難しくなっていく。それを自身の生活と、関連付ける回路が存在しないのだ。そしてこのような生活空間は、既に日々の雑務や趣向によって充満している。だから、結果的に首長選挙のような対象ですら、片手間で判断がおこなわれることになる。そしてその判断によって、自身の生活への直接の影響は発生しないのだと、多くの人びとが漠然と感じている−−。

私たちの−−少なくない割合の人びとの−−生活はこのように、狭い領域で完結してしまっているように思える。にも関わらず、いや、だからこそ、そのような生活の中で、多くの人びとが消耗し煩悶している様を、僕は今まで見続けてきた。一見、社会にきちんと適応し明日の糧にも困るわけではない、そんな人びとが、人知れず消耗を続けてしまうという生活。それは単に経済的要因や労働条件を越えて、人を捉えているようにも感じられる。

そのような生活の共通の背景として、ひとつには、先に述べたような生活領域の狭さというものを指摘することができるのかもしれない。生活領域が狭いがために、その生活基盤は必然的に脆弱となる。だからより一層、その基盤を維持することに関心を注いでしまうし、その中で消耗をし続けてしまうのだ。しかし何よりも−−その事実から必然的に言えることは−−生活領域が狭いということは、その選択肢が限定的である、ということだ。つまり、彼が希望を抱くもの、彼が望むもの、彼が喜ぶべき対象、それを彼は選択できない。その生活の範囲内において許される限りで、その代償を求めることしかできないのだ*1

このような生活基盤の脆弱さや選択肢の無さについて、多くの場合、(狭義の意味での)経済的な説明がなされる。つまり、それらの状況は経済的にもたらされる、と説明付けられる。だからお金があれば、機会があれば、もっと豊かな生活が送れるのに、と多くの人が考える。それは、ある側面では間違ってはいない。しかしそのような説明付けに対して、僕としてはこのような疑問も抱いてしまう−−それでは私たちの多くがそうであるような、他者への関心の無さは、いったいどのようにして説明付けられるというのだろうか。このような状況は、明らかにそういった姿勢と、強い関係があるように見えるのだけれど、と。

私たちは、自身の生活に踏み込まれることを忌避し、同時に、他者の生活に踏み込むことを忌避する。そのような姿勢は、否定的な側面のみならず、肯定的な側面をも持っている。それは、私たちが獲得した財産だとも言える。なぜなら、私たちが歴史の中で「個人」という概念を形成するにあたって、そのような姿勢は欠くべかざるものだった、と言えるからだ。しかしそのような「個人」の領域は脆弱でもある。私たちが密かに抱く幼稚な感情も、様々な願望も、現実や他者の前ではいともたやすく吹き飛ばされ、保全することは難しい。また逆に、私の行為は、他者の領域をいともたやすく傷付けてしまうかもしれない。だから私たちは、他者との関わり合いに対してどこかで怖れを抱いてしまう。

私たちはその日常において、様々な人びとと他愛もない会話を交わす。しかし、自身の政治信条に関わること、内面に関わること、それらを話す相手は限られている。それらは私の領域を保持するための秘密であるのだから、確固たる信頼関係が保証されていない限りは、話されるということはない。それを開示することは、お互いの領域を侵犯し、関係性を破壊するものだとして忌避される。逆に匿名掲示板などであれば、いかに幼稚な政治信条であったとしても、それを開陳することができる。そこでは自身の基盤が侵犯される怖れはないし、直接他者を傷付けたという罪悪感を抱くこともないからだ。

しかしこのような怖れは、同時に自身の内面に対しても向けられる。考えること、葛藤を抱くこと、世界に広く関心を抱くことは、自身の基盤に対して疑問を持つことにもつながるし、実際にその基盤を揺るがせる。だから私たちは、できればそれらのことを回避しようとするし、それらを呼び覚ましかねないもの−−たとえば野党による政権批判、様々な市民運動など−−は少なくない人びとにとって、理不尽なまでの不快感を抱かされる対象となる。そのような感情は、理屈によるというよりも、まず不愉快さが先立っているものだと言える。だから市民運動の担い手はプロ市民などと揶揄されたりもするが、同時に、たとえば為政者によるパフォーマンスは、日常の延長線上として、それを肯定するものとして歓迎される。

周囲が怖れの対象であるという事実、周囲にいる人びとが、領域が重なることのない他者であるという事実は、私たちの生活基盤を脆弱なものとしている。たとえば最近、電車の中で女性が暴行されるという、理不尽でやりきれない事件があった。もしもその時、その場にいた人びとがばらばらの個人ではなく、「隣人たちと共にいるのだ」という安心感の中にあったのであれば、勇気を持って一歩を踏み出すこともできたのかもしれない。しかし、何の後ろ盾もない、無属性な個人であると自身を見なすとき、匿名の群集の中に埋没してしまうとき、私たちは、卑小な存在へと転落してしまう。

最近話題のネットカフェ難民や、野宿生活者は、その多くは身寄りがいなかったり、近親者に金銭的な援助を期待できない状況にある。しかし、後ろ盾のない孤独さという点では、私たちの多くもそれほどの違いはない。違うとするならば、単に明日の寝床に困ることがない、といった程度に過ぎない*2。私たちが他人に対して関心を抱かず、他人が「私」に対して関心を抱かないのと同様に、彼らの状況に対しても、私たちは強い関心を抱くことがない。あくまでもこのような状況の延長線上に彼らの困窮があるのであって、経済的な要因は結果論ないしはそのような困窮を生み出す契機に過ぎないとも言える。

このような状況に対して、では、社会の中に隣人意識や一体感を生み出すような、そのような操作が要請されていると言えるのだろうか?たとえば、このような状況への処方箋として、あえて国家や天皇といった、保守的なシンボルを持ちだそうと考えている人びともいる。しかしそのような処方箋は、単に社会集団への依存度を深め、結果、真の意味において社会にコミットすることのない人びとを、量産する結果となるだけだと言える。そして何よりも、個人の煩悶に対しては代償的な方便を与えるに過ぎない。結局のところ、個人が個人であるところのあの苦しみには、何ら答えを示すことができない。

−−冒頭に書いたような日々の中で、僕は、「コントロールされなさ」について考えていた。つまり、人の生において、コントロールされない、できない領域についてぐるぐると思いが渦巻いていたのだった。

私が桜の花を見て平和な気分にひたっていた時、イラクでは、人が殺されていたのかもしれない。私が甘いお菓子を食べてささやかな満足を覚えている時、一方では、世界のどこかで−−いや、日本の中でも−−飢えに苦しむ人がいただろう。私がいかに世界に関心を持とうとも、同時に、全てに関心を持つことなんて出来はしない。私が何かにコミットしていたとしても、同時に、他の何かにはコミットできないかもしれない。それはたとえば、障害者支援に関心を持つ人が、一方では野宿者支援に関心を持つとは限らないということでもあるし、環境保護や動物愛護に熱心な人が、一方で、パレスチナの状況に関心を抱くということは保証されないということでもある。これらは結局のところ、私の信条や行動とは関係なしに、世界が展開されていく、ということだ。世界はある意味では暴力的なまでに、私を取り残して動いていく。

また、「コントロールされなさ」ということでは、このようなことも言える。私は、私の出自を、私の生まれの性を、私の境遇を、選択することができない。また、日々の生活の中で最善を尽くしたつもりであっても、私はその全てをコントロールできるわけではない。様々な選択も、得られるチャンスも、それらは全て、私がコントロールをした結果とは言えない。そして、私は他人の選択を決定することができない。他人の選択に関わることができたとしても、最終的にはコントロールすることなどできはしないのだ。同様に、社会に対してどのような信条を抱いていたとしても、それが理想的な形で実現されることはないだろう。なぜなら、有限である私が社会をコントロールすることなど出来はしないわけだし、そもそも、私の考えが正しいのだと保証することすら難しい。

結局のところ私の生とは、このように自身でもコントロールできない、様々な要素の集合体であると言えるのかもしれない。私は、自身が正しいのかさえわからない不安定な存在なのかもしれないし、私とはこの巨大な力動である世界の中の、微々たる存在に過ぎないのかもしれない。そして、その私の生の意味について、客観的に何かを答えることなどできないのかもしれない。

しかし、それでもここから始めるより他ないのだ。結局のところ、今の社会において置き去りにされているもの、それは、このような存在としての「私」という領域に他ならないのだから。私たちは、最も深く責任を持つべきこの領域について、それを一旦脇に置くことによってこの社会に適応したり、この社会についての考えを進めたりすることに馴らされてきた。しかし、不確かであり、コントロールできない私たちの生の中で、私たちは、それでも決定的な判断をくだしていかなければならない。

たとえば、先のネットカフェ難民野宿生活者の困窮について「個人の温情やボランティア的な扶助努力に期待するのではなく、適切な社会設計によってそれらの困窮に対応しなければならない」と考える人もいる。つまり、個々人の努力や自己責任ではなく、社会の責任として対応しなければならないのだ、と。それはその通りだとして、しかし同時に、そのような制度設計を選択する主体としての個人、そのような選択と向き合う主体としての「私」というものは、結局のところ最後まで残る。その選択は、誰かが肩代わりしてくれるというわけではない。

社会生活に適応し、葛藤や倫理上の苦しみを回避する代償に、私たちは自身の内面の希望や欲求を置き去りにしてしまう。社会の中の匿名の群集の一人でいるということは、同時に、社会に依存し社会に守られようとすることでもある。しかし、私の喜び、私の苦しみに、いったい私以外の誰が向き合うことができると言うのだろう?そして、多くの人びとがそのように自身の内面を置き去りにし、社会に適応し埋没しようとしているとするならば、いったい誰が他人の苦しみを顧みると言うのだろうか?私たちが自らを匿名の群集として位置付けるとき、社会はそこで寸断されてしまうのだ。

だから今必要とされるものは、個別の生から遊離した言葉ではない。要請されているもの、それは、この個人が無力に打ちのめされる世界において、私が私であるために、どのように世界に向き合っていくことができるのか、という言葉に他ならない。古くさいもの、過去のものとして忘れ去られていた人間の魂の問題−−それは実存と呼びかえてもいいだろう−−、そのことについて、私たちの意識を喚起する言葉に他ならないのだ。

*1:もちろんこのような書き方はいささか安易なものだと言える。なぜなら、望むものと言い、その代償と言い、結局それが何を示しているのか、明確なところは当人も含め、誰にもわからないとも言えるからだ。

*2:「過ぎない」と言っても、これは決定的であることは言うまでもない。