悪について

浜松市で昨年11月、空腹のホームレスの女性が市役所に運ばれ、福祉担当職員らが取り囲むなか心肺停止状態となり、翌日死亡した。敷地内の路上で寝かされ、市が与えた非常食も開封できないまま息絶えた。「すべきことはやった」と市は説明する。(……)
市によると、11月22日昼ごろ、以前からJR浜松駅周辺で野宿していた70歳の女性が地下街で弱っているのを警察官が見つけ、119番通報。救急隊は女性から「4日間食事していない。ご飯が食べたい」と聞き、病気の症状や外傷がないことから、市役所へ運んだ。(……)
「職員が路上の女性を囲み、見下ろす異様な光景でした」とメンバーは振り返る。「保健師もいたのに私が来るまで誰も体に触れて容体を調べなかった。建物内に入れたり、路上に毛布を敷く配慮もないのでしょうか」。近寄った時、非常食は未開封のまま胸の上に置かれていたという。(……)
死因は急性心不全だった。女性の死亡後、市民団体などから抗議された市は、内部調査を実施。中区社会福祉課の対応について「空腹を訴える女性に非常食を渡し、収容可能な福祉施設を検討した。2回目の救急車も要請した。職務逸脱や法的な義務を果たさなかった不作為は認められない」と結論付けた。


http://mainichi.jp/select/wadai/news/20080116ddm041040102000c.html


この報道に触れた時、強い憤りに駆られたことを正直に告白する。
しかし同時に僕は、この事件についてうまく語る言葉を見出せずにいる。
この状況があまりにも異常であり、私たちが「人間」と呼ぶものの何かが、決定的な何かが欠けているということは言うまでもない。だがここで強調されなければならないのは、この状況の前提として、この女性は「4日間食事していない」という事実がすでにあったということだ。
市役所の職員たちの見て見ぬふりが批難される、それは当然のことだと言えるのかもしれない。…しかし、ここに到るまで、この女性は何度見て見ぬふりをされてきたのだろう?そして市役所の職員たちにしても、このような判断をしてしまう、そこに到るまで、どのような日常の反復があったというのだろうか?いったい何が、私たちの心を――あえてこの様な表現を使うが――魂を縛ってしまうというのだろう。
まず己れの悪について語れ、と世界に対して叫びたい。私たちは往々にして――相対的に扱うにせよ、絶対的なものとして扱うにせよ――まず正義について語り出す。しかし己れの悪について掘り下げること無しに、一体何が語れるというのだろう。