「セレモニーとしての刑事裁判」に寄せられた批判について

だいぶ体調が復活してきたので、セレモニーとしての刑事裁判 - 諸悪莫作で書けなかったこと、書かなかったことについて書いていきたい。ただその前に、今更ではあるけれど、ブクマコメントや、トラックバックで寄せられた批判について触れておく。

id:torin 「事実認定の根拠が客観的に見て信用できるレベルではない」という要旨の前段の説明を抜いて引用・批判するのは我田引水じゃね?


はてなブックマーク - セレモニーとしての刑事裁判 - 諸悪莫作

その通りなんですけど、今回の差し戻し審の判決要旨を読む限り、被告人の新供述の信用性についてはかなり細かく検討されています。他の証拠との整合性から判断して信用性を否定したわけですし、その判断は妥当だと思います。そうなると「反省謝罪の態度とは程遠い」と評価されるのはやむを得ないと思いますし、そのような評価が不利な方向に働くのもまたやむを得ないと思います。


光市事件差し戻し審判決に関して1 - 妄想日記


これらの批判に対しては、「判決要旨に『太陽は西から昇る』と書かれてあったら、あなたはそれを信じるのですか?」と尋ねたい。なぜ判決の要旨のみを判断の材料として、「その判断は妥当だ」と言いきれるのだろうか。なぜそれだけで「反省謝罪の態度とは程遠い」と「評価されるのはやむを得ない」「そのような評価が不利な方向に働くのもまたやむを得ない」とするのだろうか。その論拠はいったいどこにあると言うのだろうか。


今回の判決がいかに奇妙なものであったのかについては、たとえば以下のような指摘がある。

Because It's There光市事件・差戻控訴審:広島高裁平成20年4月22日判決は元少年に死刑判決~広島高裁判決の問題点について検討
光市事件の続き - 冨樫とエミネムを応援する日記


また判断材料として、弁護側がどのような主張をしていたのかも欠かせないだろう。

光市事件における最高裁弁護人弁論要旨
こりずに光市の件 - 冨樫とエミネムを応援する日記


そして弁護側主張と検察側主張を比較するには(弁護団に属する安田氏の文章ではあるけれど)以下が詳しい。

司法の職責放棄が招いた弁護士バッシング (pdfファイル)


今回の判決が果たして、検察側主張と弁護側主張を突き合わせてその双方の詳細を公正に検討した結果、導き出されたものであったのか、それともそうではなかったのか。どうかこれらの文章を読んだ上で判断して欲しい。