誤解というよりも

「セレモニーとしての刑事裁判」に寄せられた批判について - 諸悪莫作に対して、sci98さんから応答をいただいた。

その中でsci98さんは

t_keiさんは私の発言をかなり誤解しているようです。誤解していないとすれば、かなり私と考え方が異なるようです。


光市事件差し戻し審の判断について - 妄想日記

とおっしゃっているのだけれど、僕としては誤解というよりも、なんだか話が噛み合っていないな、という印象の方が強い。僕にはsci98さんが、なぜ『被告人の新供述は死体痕跡との整合性がありません。一方、旧供述はそれがある』と判断したのか、その論拠が分からない。だから前回のエントリでも『なぜ判決の要旨のみを判断の材料として、「その判断は妥当だ」と言いきれるのだろうか』と書いたわけなんだけれど、残念ながら今回のsci98さんのエントリでも、sci98さんがなぜそのような判断に到ったのか、筋道をたてた理由は書かれていなかった*1

とりあえずわかっている範囲で了解すると、sci98さんは遺体所見の取り扱いをもって、今回の判決を妥当と判断したようだ。個人的には遺体所見に関わる箇所の判断に関しては、法医学的な知識が無ければ難しいと感じている。そのためその妥当性については、実際に資料が出揃った段階でおこなわれるであろう専門知識を持った人々の議論を参照してから判断しようと考えていた*2。だからその点について、sci98さんに解説していただけるのだとしたら、それはとてもうれしい。

ただその点を抜きにしたとしても、たとえば最高裁が自判せず高裁へと差し戻し、その際に「原則死刑」として、挙証責任や「疑わしきは被告の利益」といった原理原則を完全に逆転させてしまった点。そして今回の判決がその際の最高裁判断を原則踏襲するものであった点。また、sci98さんにはスルーされてしまったけれど、先のエントリで紹介したような数々の問題点の指摘。それらだけでも今回の判決の妥当性について、重大な疑義を抱くに十分であるように僕には思える。sci98さんはどうなのだろうか。

*1:つまり僕としては、判決要旨の主張をそのままコピペしたような内容ではなく、その内容についてsci98さんがどのように妥当と判断したのかを説明して欲しいと求めているわけです。

*2:もちろん「専門家」の権威ほど危ういものは無いけれど