憲法と権利についての覚え書き

福岡天神での、メーデーデモ弾圧の件。
http://d.hatena.ne.jp/K416/20080501/1209644251
緊急速報 ―五月病祭2008に対する弾圧― | fuf blog
福岡県警によるデモ妨害に対する抗議申し入れ書 | fuf blog


抗議申し入れ書に対する県警側回答が、「まさしく法措定的」と言いたくなるぐらい、ふるっている。

  • 県警は、請願法の用件を満たしている文書であっても、そのタイトルに「抗議」という文言があれば請願を受理しない
  • デモ制止の現場で責任者が名乗らなかったのは、「犯罪を抑止」している緊急状況ゆえのことであり、それは「おかしなことではない」。
  • 副署長いわく、天神中心部には「小さなお子さん」や「体の弱い人」が歩いているので、無許可でデモをするのは危険である。
  • 福岡県警は、「憲法のことは裁判所が考えること」だという認識であり、警察は「憲法どうのこうのではなく、法律にしたがって正当に職務を執行している」ということですが、市民と「法律論議」をするつもりはないとのことです。警察は、恒常的に憲法に配慮するつもりもなく、その必要性もないと考えているようです。


※ 強調は引用者
警察への「抗議申し入れ」 | fuf blog

ところで最近、id:kenkidoさんが『基本的人権の、その「基本的」ということについて』と題して、「基本的人権」という言葉に付与されている「基本的」という形容についての考察を重ねられていて、とても勉強になる。

ワーキングプアーという現象の出現は、労働権の危機を根柢に胚胎している事態なのである。それはまた、生存権の具体的内容を、これまで思い描かれていたものから崩し毀たれたものへと、招き寄せて行きもするものなのである。この危険を意識していないと、とんでもないことになるのであるが、例えばまず、ワーキングプアーを、もっぱら若年労働者とか、非正規雇用者とか、そうした境遇の賃金水準の問題として見るに終始すると、(確かに、そうした現象が、最も顕著にそれを見やすいものであるが、しかし、)安定した雇用環境に居る中高年層と若年層との対立、あるいは正規雇用者と非正規雇用者との対立というところに話が進んでしまって、労働権の権利たる実質が脅かされていることが意識されない。そして次には、そうした議論では、労働権は、生存権と結び付けられてはいかないし、たとえそうしたことが為されても、生存権が「平和的」生存権と言われてしまっては、人間の存在が存在たるに必要不可欠であって、人間が生きるものたるが故に当然賦与されてしかるべきものである権利、すなわち、人権であるが、この人権が、その人が一員として帰属している国の政府の政治に対して、権利であることが見失われてしまっていて、結びつきようがなくなってしまう、ということになっている。

つまりは、人権というもの理解が、どこか深められないし、それは他ならず、人権の「保障」された状態の現実が、損なわれた内容のものとなっていくのである。そして、このあたりのことを、最近思い悩んでいると、ふと、基本的人権の「基本的」という形容詞が、何か訳ありのものだったな、基本権という概念が、どこか正体の知られないところがあったな、ということが思い出されてきた。それで、この話題をまずは、今書けるところで書いてみようか、と思ったのである。


http://d.hatena.ne.jp/kenkido/20080514

そしてその考察の第3回目にあたるエントリの以下の内容は、先に引用した県警の言い分との間に強い相関を感じさせて、非常に興味深く、そして示唆的でもある。

ドイツ近代史は、周知のようにプロイセンを中心とする、北ドイツ連邦の成立を見ることになる。そしてこれにによって、ドイツは、統一国家への緒につき、「国家連合でなくして、連邦国家となつた」のである。そしてこの時には、北ドイツ連邦憲法(一八六七年)が制定される。更に時の流れを下って、やはりプロイセンヘゲモニーのもと、南部諸邦をいくつか加えて、プロイセン王がドイツ皇帝となるドイツ帝国が結成された。そしてこの時には、ドイツ帝国憲法が、先の北ドイツ連邦憲法を修正して、一八七一年に制定された。さて、この二つの憲法に於いて、基本権はどう扱われたかを見るならば、それらを列挙する条文が存しない、というものとなっている。
もう一度言おう。基本権を規定する条文を、それらの憲法は欠いているのである。(……)基本権は、各諸邦の憲法に既に存していた、という事情説明で、なにとなく納得・・・出来る訳が無い。納得するには、統一国家として、中央集権的な政治権力を確定するものとしてのみ、憲法が考えられていた、とすることしかない。そして、このような、政治権力を重視する立場からすれば、基本権は、人権として、憲法に明記するものではなく、もしそこに記されるとしたら、法律を以てして、その保障を図るところの権利として記されている、と看做される。(……)
ここに見られる、「基本権」というものは、法律を以てして、その具体的な内容を定めるところの立法の方針であるとする理解は、既にして、プロイセン憲法の特徴であった。それが、そのままに、北ドイツ連邦憲法ドイツ帝国憲法へと引き継がれたのである。このこと、頼りばなっしの水木惣太郎「先生」の本より引用する。
「旧プロイセン憲法の基本権はただ立法の方針を示しただけであり、その具体的な内容は法律を以て定まるものとされていた。英米法系の諸国のように憲法は直接に人民に拘束力を有し、且つ裁判上も援用されるものと異なり、憲法上の基本権が具体的効力を持つ為には特別の立法を要するとされたのである。すなわち基本権が法律によつて具体化されなければ、個人はこれによつて保護を請求することもできなければ、裁判所もこれを援用できないとされていた。特に旧プロイセン憲法施行後も、その基本権の規定に矛盾する法律が廃止せられずに可成り行なわれている。実際に基本権が法律の規定により具体的内容を定められたのは極く一部であり、多くは法律によつて具体化されないままに終わつている。而もこの場合には憲法制定前からの法律が行なわれているのであるから、基本権の規定は空文に等しい。従つて旧プロイセン憲法の保障は極めて外見的であつたという外はない。」


※ 強調は引用者
http://d.hatena.ne.jp/kenkido/20080516


…なんだか引用だらけになってしまったけど、とりあえずの覚え書きということで。