2005年7月3日 未明

この夢は珍しく、おぼろげにしか思い出すことができなかった。そのため、おおまかな概要のみ記す。


ガラス張りのビルのような場所に、大勢の人が集まっている。床や天井、階段などは、うっすらと白く輝いている。
集まっている人々は、既に死んでいて、魂だけとなっている。僕もその中にいる。


多くの人々は、人間の世界へ戻るために階段を下っていく。僕は、上の階へと向かうことを決める。

2005年7月3日 早朝

僕は、家族を乗せた汽車を運転している。
汽車は、レールの上ではなく、山道を猛スピードで疾走している。


砂利道や獣道などの悪路をぬけ、細い、石で出来た階段へ差しかかる。石の階段の左側は、崖となっている。
僕は、「道を間違えたかな。。」と思いつつ、石の階段をガタガタと下っていった。


石の階段を抜けると、目的地に到着した。
そこは、正方形の広場になっていた。正方形の、階段側をのぞいた3方の辺には、辺に沿って、石で出来た立派な古いお堂が建っている。それらのお堂には壁が無く、吹抜けになっていて、その中には、立派な石仏が何体も並んでいた。


家族とともに汽車から降り、感慨にふけりながら石仏を見学した。
父が、石仏の頭部に無造作に触れているのを見て、思わず「不敬だ」と感じてしまう。


しばらくすると、尿意をもよおしたので、便所をさがす。便所はすぐに見付かったが、その便所は、お堂と同じように石造りで、壁や仕切りが無い。壁や仕切りが無い中で、男性も女性も、用を足している。


一瞬躊躇するが、「まぁ、これもしようがないな」と考え、そこで用を足すことにした。

夢の分析 (講談社選書メチエ)

夢の分析 (講談社選書メチエ)

夢の分析 (講談社選書メチエ)



今朝の夢を見て、以前読んだ「夢の分析 (講談社選書メチエ)」を思い出した。
著者は、クライアントの夢の事例を紹介しつつ、人間心理が抱える、「近代的な自我」と「太古的な超越性」との関わりについて論じている。
この本の中で、「仕切りの無いトイレ」は「近代性」と「超越性」に関する命題が、その人の中で浮上している可能性を示している、とされている。
ここ最近の、自分の夢のモチーフ展開を顧みても、その論点はとても興味深く感じる。

ほっとけない 僕らのまずしさ

ほっとけない 世界のまずしさ」、か。。。


真面目にやっている人達には申し訳ないけれど。
この浅薄さ・傲慢さは、一体どこから来るのだろうか。「自分達は傲慢である」なんて自覚は、おそらく当事者達には、これっぽっちも無いんだろうな。。

メモ書きの修正

夢の記録で、メモだけ書いて、放置してしまっているものが多い。そのため、後付けになってしまうが、メモをもとに記憶を手繰りよせ、内容を充実させることにした。今日は、下記2点を修正。


http://d.hatena.ne.jp/t_kei/20041123
http://d.hatena.ne.jp/t_kei/20041203


こうして改めて顧みると、同じようなモチーフが繰り返し -- しかし発展して -- 展開されていることがわかる。