欝。
昨日は、とんでもない駄文をエントリしてしまった。*1
あの駄文に関して、ひとつ強調しておきたいことがある。
あの駄文が、そこはかとない厨臭さを漂わせているのは、あくまでも僕がユングの諸概念を消化できず、自分の語彙として語れていないためである。ユングの概念そのものが、あのように稚拙なものだとは、決して思わないで欲しい。
とは言え、自分の書いた文章には、責任を持っておきたい。
昨日の駄文で書きたかったことを、自分の中で整理する必要があるだろう。
まず、「若さ」や「目新しさ」といったものが過剰に称揚されてしまうという傾向に関する、駄文の主張を若干整理してみようと思う。
「小泉のパフォーマンスと、それに翼賛的なマスコミによって、大衆が踊らされてしまった。」
これは、総選挙後に多く見受けられた分析である。そして確かに、そのような傾向は、実際に存在したであろう。
しかし、多くの人の心中に、それを快いと感じ、かつ受け入れる素因がなければ、いかに誘導があったとしても、それが一つの大きな流れとなるということは無かっただろう。「火の無いところに煙はたたない」という言葉通り、多くの人の心中に、それを「良いもの」と見なす傾向がすでにあり、小泉氏のパフォーマンスや、マスメディアの論調は、それを発露させるきっかけに過ぎなかったのではないだろうか。
--- と、ここまで書いて、やはり自分の中で、全く話にならない程、消化不良であることに気が付いた。
自分の中にあるもやもやとした感じを、説得力のある言葉にのせることが出来ていない。衆愚論を展開したいわけじゃないのに、そんな感じになりかねない。
慌てること無く、自分の中で洗練させていけばいい、とは思いつつ、自分の中に漠然とあるものを、言葉として発し得ないということは、非常にもどかしい。
勉強しよう。。